ブルートレインと呼ばれない急行「はまなす」のB寝台車(オハネ24 502)

寝台特急「北斗星」の最終列車が日曜日(8/23)の午前9時25分、定刻通り終点の上野駅に到着し、これで寝台特急ブルートレインの歴史にピリオドが打たれました。

鉄道ファンら約2,500人(JR東日本発表)が上野駅のホームで迎え、引退を惜しんだそうです。

 
最近は家にある朝日新聞には目を通さないようにしていますが、たまたま天声人語が鉄道ネタだったので読んでみました。

出だしの面白い例え話だけ引用しますが、言い得ていて、ついつい笑ってしまいました。

 

数量限定のお菓子が食べたくなるように、廃止が決まった寝台特急には乗っておきたい。エッセイストの酒井順子さんがそう思って乗車したのは、2005年まで東京―下関間を走っていたブルートレインの元祖「あさかぜ」だ。著書『女子と鉄道』にある

 
廃止が決まらないと、乗る気になれない、それが“ブルートレイン”だったようです。

 

1992(平成4)年以降、何回か「北斗星」に乗ったことがありますが、北海道からの帰りはいつも乗車当日でも1人用寝台“ソロ”が買えました。

週末帰りだと当日調達は厳しかったと思いますが、ゴールデンウィークや盆暮れを除いた普段なら直前のキャンセルが結構出ていたので、“ソロ”1室ぐらいならだいたい手に入りました。

3往復だった「北斗星」が1往復にまで減ってしまったということは、結局のところ、バブル生まれの豪華客車も飽きられてしまったということなんだと思います。当日調達ができるほどの乗車率だったのですからね…

 
JR旅客会社間を跨ぐ長距離列車でも、乗車率が年中高くてドル箱列車になっていたのなら、「サンライズ瀬戸・出雲」で使用されている285系のような寝台電車が開発されていたでしょうが、実際は2人用A寝台のみの「カシオペア」用のE26系が12両製造されただけ。

 
夜行列車がなくなってしまうのは残念ですが、これまで私自身が多用していたのは寝台列車ではなくて普通座席の夜行列車ばかり。

1985(昭和60)年3月ダイヤ改正の時点で残っていた夜行列車はほとんど乗りましたが、寝台車に乗ったことはありませんでした。

お恥ずかしいことに、初めて乗った寝台列車は新入社員研修(三井鉱山時代)の移動のときで、「あさかぜ」または「はやぶさ」に乗って八幡で降りました。1991(平成3)年4月上旬のことです。

社会人になってからは寝台車に乗ることが増えましたが、いつもフリー切符に絡めて乗っているばかりで、JRから見たら嫌なお客だったのではないでしょうか?

 
ですので、「北斗星」の廃止で寝台特急ブルートレインがなくなってしまうことよりも、急行「はまなす」が今後どうなってしまうのだろうか?の方が気になります。

「はまなす」にも寝台車が連結されていますが、2両だけ。多くても3両。しかも、個室寝台なんてありません。
残りの5〜10両は14系500番代の座席車。

自由席も連結されているので、乗車券と急行券さえあればいつでも乗れます。

事前に指定席券を手に入れることができれば、“のびのびカーペットカー”や“ドリームカー”でゆったり移動することもできます。

 
先日、急行「はまなす」が少なくとも来年(2016年)2月末まで運行を継続するとの発表がありました。

 
北海道新幹線の開業で「はまなす」がどうなるのか?

「はまなす」の代わりに函館〜札幌間の「ミッドナイト」が復活するのか?

 
この答えは、来春のダイヤ改正の概要発表がある12月下旬までしばらくお預けです。

 
 * * *

 
この流れで「はまなす」用のオハ14形あたりが用意できたらよかったのですが、快速「海峡」時代しか撮ったことがないので、今回は「北斗星」用として24系化されたのに14系併結化改造でまたまた14系列車の「はまなす」に連結されるようになった オハネ24 502(札サウ)をアップしたいと思います。

 
オハネ24 502

オハネ24 502(札サウ)  2015年7月1日 苫小牧駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

「北斗星3・4号」の定期列車化による車両不足を補うために急行「宗谷」「天北」の気動車化や急行「まりも」の寝台車減車により余剰となっていた オハネ14 509 を24系に編入改造した車両です。

 
14系500番代からの改造車なので、台車枠にブレーキシリンダーを取り付けたTR217Fを履き、前位車端部の手スリが角部に取り付けられており、引き戸に改造されたドアの窓がHゴム支持になっています。

1号車のスハネフ14形550番代に合わせて白帯にすればいいのに!と思えるような外観ですが、「北斗星」用車両でしたので現在も金帯のままです。

 

種車の オハネ14 509 は北海道向けに改造されてからの番号で、もともとは昭和46年度3次債務車として1972(昭和47)年9月に新潟鐵工所で製造された オハネ14 65 でした。

当初は向日町運転所(大ムコ)の配置で、「あかつき」で使用されていましたが、1972(昭和47)年11月に発生した北陸トンネル火災事故の影響で14系寝台車の増備が中止されたため、大ムコへの24系投入による玉突きで早岐客貨車区(門ハイ)へ転属となりました。

門ハイでは「あかつき」「彗星」に使用されていましたが、1975(昭和50)年3月改正以降は「日本海」にも使用されることになり、九州~青森間という今では信じられないような広域での運用に就いていました。

1978(昭和53)年に14系15形が門ハイに配置され、一方で「日本海」が24系化されたため、オハネ14 65 を含む門ハイの14系寝台車のほとんどが尾久客車区(北オク)に転属し、1978(昭和53)年10月改正からは上野発着の「ゆうづる」「北星」「北陸」に活躍の場を移しました。

 
オハネ14 65 は北オクでの活躍もそう長く続かず、こんどは北海道の老朽化した10系寝台車を置き替えるため オハネ14 509 に改造され、札幌運転所(札サウ)配置となりました。

1983(昭和58)年から急行「まりも」「大雪」「利尻」に使用され、このときから14系座席車と混結で使われるようになりました。

なお、このときに北海道に渡らずに北オクに残った14系寝台車の多くが2010(平成22)年3月まで「北陸」で使用されました。

 
1985(昭和60)年以降、オハネ14 509 はおもに急行「まりも」「大雪」に使用されていましたが、寝台車の減車により札サウのオハネ14形は余剰気味になっていました。さらに、1988(昭和63)年11月に急行「宗谷」「天北」が気動車化されたため、オハネ14形の余剰車が増加しました。

一方で、平成元(1989)年3月に当時の「北斗星」人気に応えるため「北斗星3・4号」を定期列車化し、B寝台車が車両不足に陥っていたため、これを補うためにオハネ14形の余剰車を活用することになり オハネ14 509 は オハネ24 502 に改造されました。

 
国鉄時代は広域配転が頻繁に行われていましたので オハネ24 502 の経歴が特別なものではありませんが、九州に配置されていた車両がJR北海道で活躍しているのは、国鉄の標準化設計の賜でしょう。

この設計思想がよかったのかどうか判断しきれない部分もありますが、老朽化が激しかった1世代前の軽量車両の置き替えのためにその都度転用改造で対応できたので、評価されるべき車両だったのではないかと思っています。

 
時代によって求められる車両の要件は異なりますからね…



この形式写真に関連するタグ: 14系 , 24系 , JR北海道 , プレス発表

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

コメントの更新情報

トラックバックURL: http://www.train-books.net/news/wp-trackback.php?p=22106