最後まで新潟色で活躍したキハ47形500番代(キハ47 511)

とある出版社から写真提供の依頼があったので、久しぶりに普段使いとは別のハードディスクを覗いていたところ、数年前なのに撮ったことすら忘れていた写真が出てきました。
写真を保管しているフォルダには撮影日と撮影場所を組み合わせた名前を付けているので、何年にどこへ行ったかどうかは覚えていますが、何を撮ったのかまではファイルを開いてみないと分かりません。
本来なら、撮影した車両の形式番号まで記録しておくべきなのでしょうが、困るのは自分だけなので、いまだに後回しにしています。
115系や485系、24系客車などは、執筆の際にすべての撮影フィルムやデータをすべて記録し整理済み。
しかし、執筆などの機会がなかった系列については放置したままなので、ブログにアップしながら整理していかないといけないですね。
今回はそれほど古い写真ではありませんが、積極的に酒田駅(山形県酒田市)に通っていたときに撮影した新津運輸区(新ニツ)の キハ47 511 をアップしたいと思います。
キハ47 511(新ニツ) 2019年11月8日 酒田駅
上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。
両開きドアを持つキハ47形はキハ40系の中核形式の一つで、どちらかというと暖かい地方向けに製造されました。
しかし、1978〜1980(昭和53〜55)年に新製された寒地向けの500・1500番代は、床下機器の一部に簡易カバーを付けたり、車内保温のために室内の暖房を強化したり、空気バネ台車(DT44/TR227またはDT44A/TR227A)を履くなど、一部の仕様が変更されました。
このうち、トイレ付きのキハ47形500番代は22両が新潟運転所(新ニイ)に新製配置されて越後線や弥彦線などで使用されましたが、1984(昭和59)年4月に越後線と弥彦線弥彦〜東三条間の電化をきっかけに新潟地区の使用列車が整理されたため、1985(昭和60)年に初期車の10両は中国地方や四国、九州など比較的温暖な地域へ転属となりました。
上のイラストをクリックすると大きく表示されます。
国鉄末期に新潟を離れて新天地へ散った10両は多くはその後改造工事により改番されましたが、新潟地区に残ったJR東日本所属の12両は2020(平成32)年3月に引退するまで原番号のまま活躍し続けました。
写真の キハ47 511 は、2001(平成13)年度に駆動用機関(エンジン)をカミンズ製の DMF14HZ(350PS/2,000rpm)に換装しましたが、液体変速機(DW10)を交換されなかったため、定格出力を300PSに下げて使用されました。
同工事の際、機関直結式の冷房装置(AU26J-A)を2台取り付けましたが、客室内を中心としたリニューアル工事は行われなかったため、車体色は青色系の新潟色のまま変更されませんでした。
今回の写真は、E653系のハマナス色編成(ニイU107編成)と瑠璃色編成(ニイU106編成)を撮りに出掛けた際に、合間で撮影したカットです。
いま思えば、当時の新潟色を記録する貴重な1枚になりました。























