札沼線の末端区間で使用されている2軸駆動改造車の キハ40 402
実家の片付けが相当精神的に堪えたのか、3日前(9/16)に終わってからは疲れを取るようにペースダウンして1日1日を過ごしています。
まだ、クルマの中に最後に運び出した荷物が残っているので、早く自宅に置き場所を作らないといけないのですが、急がずに少しずつ進めて行きたいと思っています。
クルマが機能しないという問題はありますが、シールバーウィークと呼ばれる5連休は特に大きな用事もないので、ゆっくりさせていただいております。
こういうときですので、タイミングを逸したためにアップしていなかった形式写真をアップしたいと思います。
今回は、札幌都市圏の通勤・通学路線に変貌した札沼線(学園都市線)の末端区間(石狩当別〜北海道医療大学〜新十津川間)を受け持っているキハ40形400番代のうちの1両、苗穂運転所(札ナホ)の キハ40 402 です。
それまでの高出力機関改造車よりもさらに強力な450PS級の N-DMF13HZD を搭載し、さらに動台車を2軸駆動の N-DT44B に改造した特別な仕様のキハ40形です。
キハ40 402(札ナホ) 2014年5月15日 石狩当別駅
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札沼線石狩当別〜新十津川間の前任車は2エンジン・2軸駆動車のキハ56形を両運転台に改造したキハ53形500番代でした。
国鉄末期に登場した改造車でしたが、晩年は札沼線の末端区間と深名線で使用されていました。
キハ53形500番代は最後まで国鉄急行色をまとっていたので注目の車両でしたが、趣味誌などで採り上げられて人気があったのは深名線の キハ53 502・505・507 ばかりで札沼線の キハ53 501・504 はほとんどスルーされていました。
いつの時代にもありがちな話しです。
札沼線用の キハ53 504 を キハ40 402 とまったく同じ場所で撮っていましたので、こちらも参考までにアップしておきます。
キハ53 504(札ナホ) 1993年7月28日 石狩当別駅
「kenji」の キハ58 1505
毎年暑くなると撮影に出るのをやめてしまうので、8月に撮影した写真はほとんどないのですが、一昨年2010(平成22)年は東北新幹線の新青森延伸開業を前に車両置き替えが噂されていた車両を追いかけに北東北地区までクルマで遠征していました。
そのときに撮影した写真はほとんどアップしていますが、盛岡車両センター(盛モリ)のジョイフルトレイン「kenji」については宮古駅できれいに撮れた キハ58 650 しかアップしていませんでした。
快速「さんりくトレイン宮古」で使用されていた「kenji」の3両のうち宮古駅で撮影できたのは キハ58 650 だけで、そのほかの2両は同列車の終点の盛岡駅までクルマで追いかけに行ったあとに撮りました。
キハ58 1505(盛モリ) 2010年8月3日 盛岡駅
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キハ58 1505 は車体中央部屋根上に取り付けてある展望室用の冷房装置が キハ58 650 と異なるタイプのものが取り付けられています。
模型化するのが大変な形式かも知れませんが、冷房装置を作り分けるなどこだわってみては如何でしょうか?
グリーン車からの格下げ車 キハ28 5223
スキャン済みの写真を整理していたらグリーン車キロ28形からの格下げ車、キハ28 5223(崎サキ)が出てきました。
もしかしたら掲示板時代にアップしていたかも知れませんが、本人も忘れていますのでご容赦ください。
キハ28形5200番代は乗客の少なかった急行列車のグリーン車を普通指定席車に転用するために格下げしてキハ28形に編入した車両です。キハ28形は1エンジン付きの片運転台付き急行形気動車ですので、運転台のない中間車が加わるのはおかしいのですが、キハ28形に収まりました。
ちなみに5000番代という車両もキロ28形からの格下げ車ですが、こちらは冷房電源を持っていなかったので早々と消えていきました。
キハ28形5200番代はほとんどが四国内で走っていた形式区分で、1980〜1985(昭和55〜60)年に23両が改造されました。その他の地域ではなかなか見られない区分で、追いかけるのが大変だったのです(当時、高松駅へ行けば撮れましたが…)。
ところが、1989(昭和63)年から長崎〜佐世保間に快速「シーサイドライナー」が走るようになり、それまで急行列車に使用されていた車両が長崎に集められたので、九州にわずか3両しかいなかったキハ28形5200番代が簡単に撮れるようになったのです。
追いかけていると、いいことがあるということでしょうか。
キハ28 5223(崎サキ) 1992年5月5日 長崎運転所
寝台特急「さくら」の14系客車を撮りに行ったら、手前に止まっていた20系「雲仙」が邪魔で撮れなくて、気持ちを切り替えてから撮った写真です。
両脇のキハ58形は「シーサイドライナー」色に塗り変わっていますが、キハ28 5223 はまだ九州地域色でした。
高山本線の高岡色 キハ28 2360
昨日(7/26)、「こがね」の中間車 キハ29 506(仙ココ)を旧運転台(1位)側から撮影した写真をアップしました。のっぺりした妻面の車両として紹介しましたが、写真向こう側の2位側車端部は喫煙室にサロン室のような大窓が設けられているので、のっぺりとした印象が薄れています。
岩切駅で2位側からも キハ29 506 を撮影していますが、ブローニーフィルムでの撮影で未スキャンのポジですので、こちらの写真はまたの機会にさせてください。
キハ58系は全国各地でたくさん走っていた気動車でしたが、2011(平成23)年3月11日に高山本線(猪谷〜富山間)から運用離脱したのを最後に一般形車両は過去のものとなってしまいました。稼働可能な車両も 盛岡の「kenji」の3両(キハ58 1505 + キハ28 2010 + キハ58 650)とJR九州の「あそ1962」の2両(キハ58 139 + キハ28 2401)だけです。
キハ58系がめずらしくも何ともない時期(1990年ごろ)に非冷房車を中心に追いかけたことがありますが、あまり形式写真を撮影してこなかったのを後悔しています。特に地域色の車両はほとんど撮影していません。
でも、キハ58系はとにかく車両が多く、普通列車から急行列車まで、北は北海道、南は九州で走っていましたので、追いかけきれませんでした、というのが実際のところです。
今回は数少ないデジカメ写真のうち、高山本線(猪谷〜富山間)で最後の活躍をしていた高岡色のキハ28形300番代、キハ28 2360(金トヤ)をアップします。
キハ28 2360(金トヤ) 2007年12月2日 富山駅
キハ28 2360 は高山本線からキハ58系が引退したときに走っていた旧国鉄急行色のうちの1両でした。
このことを勉強不足のため初めて知りましたが、最後に国鉄急行色で走っていた2両は客寄せのために塗り戻していたんですね。てっきり他地域からの転入車がたまたま国鉄急行色のまま残っていたのだと思っていました。
のっぺらぼうな「こがね」の中間車 キハ29 506
先日、ジョイフルトレイン「こがね」の先頭車 キハ59 510 をアップしましたが、この3両編成の真ん中に連結されている中間車 キハ29 509 も個性的な外観でした。
先頭車の キハ59 510・511 は正面平窓タイプの キハ58 1038・1039 を改造した車両で、「グラシア」として落成したときはグリーン車で“キロ”を名乗ってました。
一方の中間車、キハ29 506 はパノラミックウィンドウ車 キハ28 2505(新製時は キハ28 1505、「グラシア」時代は キロ29 506) からの改造車でしたが、中間車に改造されたため先頭部の窓がすべて埋められてしまい、のっぺらぼうな妻面になってしました。
「グラシア」改造時に側窓は1段上昇窓から固定窓に変更されましたが、中間車については片側2ヵ所のみ上昇窓で、サッシが黒色化されています。固定窓の天地寸法が小さくなっているため2ヵ所ある上昇窓が大きく見えます。
キハ29 506(仙ココ) 2010年7月31日 気仙沼駅
「グラシア」化改造のときに前位側の旧出入扉を埋めてカウンターテーブルとラウンジが設置されましたが、「こがね」化の際にラウンジが喫煙室に改装されています。
窓を書き足したくなるようなノッペリした妻面