形式写真

赤色が鮮やかな“男鹿なまはげライン”の蓄電池電車(EV-E801-1)

先週の東北遠征は、初日(4/16)は撮影場所の読みがハズレて失敗。
2日目(4/16)は秋田地区で満足に撮影、3日目(4/17)は酒田駅で撮影するつもりでしたが、天気が好転してしまったため早々と帰宅。

結果的に秋田遠征というかたちで終りました。

 
秋田遠征はEV-E801系をメインに秋田車両センター(秋アキ)の701系を撮っていましたので、EV-E801系と前回アップした DE11 1032 以外はブログ映えしない地味な車両ばかりでした。

ということで、今回はEV-E801系の制御電動車(Mc)で赤色が鮮やかな EV-E801-1 をアップします。

 
EV-E801-1

EV-E801-1(秋アキ)  2017年4月16日 土崎駅

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最近は“男鹿なまはげライン”という通称が付けられている男鹿線。

ここにJR九州の蓄電池電車 BEC819系“DENCHA”をベースとした、耐寒・耐雪構造に改良して交流の周波数を60Hzから50Hzに変更したJR東日本のEV-E801系が投入されました。JR東日本の蓄電池電車ということで、烏山線と同じ“ACCUM”の愛称が付けられています。

 
パッと見はJR九州の817系BEC819系に似た車体形状ですが、赤色(EV-E801-1)と青色(EV-E800-1)が鮮やかなカラーリング。これは“赤なまはげ”“青なまはげ”が由来だということです。

そして、秋田仕様として、耐寒耐雪構造のスカートを装備し、開閉可能な客窓、前面の前照灯・尾灯の取り付け位置などが変更されています。

 
男鹿線(追分~男鹿間)は全区間非電化ですが、乗り入れる奥羽本線秋田~追分間では通常の電車と同じように架線からの電力で走行するので、奥羽本線土崎駅では写真のようにパンタグラフを上げながら停車しています。

今年に入ってから蓄電池電車を精力的に撮影してきましたが、JR東日本のEV-E301系JR九州のBEC819系はともに非電化区間での撮影だったので、今回はパンタグラフを上げた状態できれいな形式写真が撮れました。
地味に嬉しいですね…

 
3月4日ダイヤ改正での営業運転開始を記念して前面貫通扉にヘッドマークが掲出されていますが、これも期間限定なのでしょうか?

すでに試運転時と車体側面のJRマークの貼付位置が変更されているみたいなので、定期的に撮影していかないとそのときどきの姿が記録できないのかも知れませんね。

記録というのは奥が深いな〜、なんて思ったりしました。



この形式写真に関連するタグ: EV-E801系 , JR東日本

秋田港駅に留置されている DE11 1032

30年来、途中非テツの時期はありましたが、国鉄形車両など去りゆく車両をメインに追いかけてきました。
何とか記録していかなければという気持ちから、ここ数年ほど精力的に遠征を続けてきた結果、ようやく最近になって新車を追いかける余裕が生まれてきました。

と言いつつ、新車だけのために遠征するのはもったいないので、数年後に引退が見込まれる車両と抱き合わせるようにしています。

今回はそのような心配がない地域に遠征してきました。

 
今回は、秋田地区の男鹿線に投入された蓄電池電車EV-E801系を撮りに行ってきました。

鉄道だけではアクセスの悪い地域を巡るつもりでしたので、久しぶりにクルマだけを使った遠征。

 
実際は秋田だけを遠征先に選んだのではなく、取り敢えず東北地方にクルマで出掛け、現地に入ってから天気予報を確認しながら、撮影地を決めるという車中泊ならでは機動性のよさを活かした遠征になりました。

結局、曇ってくれたのは当初から行きたいと思っていた秋田だけ。
そんなクルマ遠征でした。

 
遠征初日は4/15(土)。

「レトロ花めぐり号」の折り返し留置で旧形客車が撮れると見込んで郡山に行きましたが、昨年までのような車両撮影会のような留置にはならず、完全に失敗。
お昼過ぎに郡山に着くような行程で、郡山の失敗を跳ね返すような撮影場所が近所になかったので、遠征初日はほとんど成果なし。

今回の遠征は酒田駅を絡めた2泊3日くらいを想定していたので、その日のうちに日本海側に移動して車中泊しました。

 
遠征2日目、4/16(日)、山形県内全域は概ね晴れ予報。

前日に立てた計画を変更し、秋田地区で1日粘ることにしました。

先ずはEV-E801系を撮りに土崎駅へ移動し、ロケハンを開始。
意外に形式写真がきれいに撮れそうな駅構造だったので、午前中は土崎と秋田の両駅を行ったり来たりして撮影枚数を稼ぐことにしました。

その途中、土崎駅はJR貨物と秋田臨海鉄道の秋田港駅にほど近いことが分かったので、クルマで寄ってみることに。

 
なんとなんと、秋田港駅はDE10形タイプのディーゼル機関車が連なって留置されていました。

 
秋田港駅に留置されているディーゼル機関車群

秋田港駅に留置されているディーゼル機関車群

 

国鉄末期によく見た光景です。

機関車や客車の余剰車(第二休車)がこの何十倍もの規模で整理統合で廃止となった旧配置区所や操車場に留置されていました。

当時は現役を引退した事業用客車を追いかけて色んなところにお邪魔しましたので、このような光景を見るのはそれ以来です。

 
このディーゼル機関車群のうち一番手前側に止まっていたのが、DE11形1000番代。

絶滅危惧種です。

 
留置されているそばに事務所がありましたので、許可をもらってから撮影したのが DE11 1032 です。

 
DE11 1032

DE11 1032  2017年4月16日 秋田港駅

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DE11形はDE10形を基本として操車場などの重入換用に特化したディーゼル機関車で、0・1000・1900・2000番代の4種類の区分が合計116両製造されました。
初期に製造された0・1000番代(111両)は大規模な操車場に集中配属され、入換用として残っていた蒸気機関車の置き替えました。

しかし、1984(昭和59)年2月改正で貨物輸送がそれまでのヤード式から直行輸送式に変更されて大規模操車場が廃止されたため、DE11形0・1000番代の多くは用途を失い廃車となりました。

 
国鉄分割民営化以降も車籍が残ったDE11形0・1000番代はわずか16両。

高崎に配置されていた3両の0番代は1990(平成2)年に廃車となりました。

DE11形1000番代は客車入換用として10両がJR東日本に引き継がれましたが、客車列車の減少によって廃車が進んだためJR東日本所属車は現在3両のみとなっています。
2010(平成22)年以降にJR東日本で廃車となった車両のうち4両がJR貨物に譲渡されましたが、それもすでに半数は廃車されています。

 
今回撮影した DE11 1032 は宇都宮運転所(宇)の配置を最後に2014(平成26)年に一度廃車された車両です。JR貨物に譲渡されたあとに車籍復活し、岡山機関区(岡)に配置されました。

復活後は新南陽駅(山口県)や広島貨物ターミナル駅の入換で使用されましたが、それも長続きしなかったようで、2015(平成27)年9〜10月には秋田港に回送されました。

どのような目的があって秋田港駅に留置されているのか分かりませんが、この機関車のそばには部品取りで無残な姿になったDE10形のダルマが置いてありましたので、留置されているディーゼル機関車群の行く末が気になります。

 
JR東日本の新形式を撮りに行った東北遠征ですが、珍しい国鉄形車両が撮影できて大満足な遠征となりました。

期待せずに行ったのでこんな気持ちになれたのでしょうね…



この形式写真に関連するタグ: DE10・DE11・DE15形 , JR貨物

12月から運用に入ったE721系1000番代の先頭車(クハE720-1002)

少し時間が経ってしまいましたが、JR東日本の蓄電池電車(愛称:ACCUM)を撮影する前日(4/8)に栃木市からサクッと郡山に行ってました。

 
盛岡車両センター(盛モリ)の485系ジョイフルトレイン「ジパング」が出稼ぎして臨時快速「ジパング花めぐり号」に充当されるので、これを撮るのが目的でした。

残念ながら以前の臨時列車運転のときと留置場所が変わって撮れなくなってしまったので、あえなく撃沈。

 
しかし、途中の黒磯で運用変更のため4両編成のE721系1000番代が来てくれたので、労せずして撮ることができました。

E721系1000番代が明るい時間帯に黒磯に入るのは朝7時だけだと思っていたので、地味に大きな収穫でした。

 
今回はそのときに撮影したE721系1000番代のうちの1枚、偶数向き制御車(T’c)のクハE720形1000番代、クハE720-1002(仙セン)をアップしたいと思います。

 
クハE720-1002

クハE720-1002(仙セン)  2017年4月8日 黒磯駅

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東北地区は客車列車時代が長く国鉄末期まで残っていたことから、駅ホームの高さが“客車用”の760mmと、“電車用”の1,100mmや“電車及びその他列車の共用”の920mmに比べてかなり低くなっています。

電車化や新形気動車の投入などに合わせてホームのかさ上げなどが行われることが多いですが、営業区間が長距離に渡る東北本線ではこのような対応はこれまで行われませんでした。莫大な工期と費用が掛かるので仕方ありません。

民営化以降に登場した719系(1989年)や701系(1994年)は、客用ドア部分にステップを設けてホームとの段差を解消していましたが、2007(平成19)年に登場したE721系は床面そのものを低くすること(低床化)で対応しました。

 
E721系は、低床化のために床下機器の小形化、台車形状の改良、車輪サイズの小径化(φ860mm→φ810mm)などの設計変更を行い、床面高さを701系の1,130mmから950mmまで下げることに成功しました。

ホームとの段差を30〜190mmまで抑えることができたので、E721系はドア部分のステップがなくなりスッキリした車体デザインとなりました。
客室もシートピッチの広いボックス席を配置したセミクロスシートに変更し、しかもドリンク用テーブルが取り付けられたので、“青春18きっぷ”利用者にもありがたい仕様です。

仙台近郊でセミクロスシートが好適かどうかは微妙ですが、そこはロングシートの701系とうまく運用を使い分けることで対処してもらいたいものです。

 
2016(平成28)年秋に登場したE721系1000番代は、719系0番代を置き替えるために増備されたグループで、モハ721形とサハ720形という新形式の中間車を2両挟んだ4両固定編成に基本編成が変更されました。

車体のカラー帯も赤色部分がさくら色に変わりましたので、今回のように先頭車を見ただけで4両編成(1000番代)というのがすぐに分かります。クハE720形は3位車端部の窓形状も変わっていますが、帯色を確認すればいいでしょうね。

 
上述のように客室は低床化されてますが、乗務員室(運転室)は運転士の視認性向上のため高運転台構造を採用しており、また701系とも併結する必要があるので、運転室部分のみ床面高さを従来車(701系)と同じ1,130mmにしています。

このため、運転室は客室との間に180mmの段差があります。
下の写真のように乗務員室ドアは客用ドアよりも高く取り付けられており、室内には運転室と客室の仕切に段差が設けられています。併結時には運転室部分を乗客が通り抜けるので、注意喚起のため段差部分に赤色LEDが埋め込まれています。

 
クハE720-6とクモハE721-2の連結面

左側:東急車輛製造製の クハE720-6
右側:川崎重工業製の クモハE721-2

 

E721系の車体構体は製造メーカーにより工法が異なるため、外観にメーカー差が見られます。

 
E721系0番代の多くを占める川崎重工業製の車両は、側窓上部の継ぎ目が見当たらない比較的スッキリした外観になっています。

一方、東急車輛製造または現在の総合車両製作所(J-TREC)で製造されたE721系0番代の一部と1000番代のすべての車両は、側構体の幕板と吹寄板、腰板の継ぎ目が側窓の上下部分にあり、これが結構目立つ存在になっています。まるで、戦前製の旧形国電や旧形客車のウインドーシルとウインドーヘッダーのようにも見えます。

 
今回増備されたE721系1000番代はすべてJ-TREC製なので、上写真の クハE720-6 のような側板の継ぎ目が側窓上部にもあります。

E721系のメーカー差はE231系ほど注目されていませんが、Nゲージでも分かるほどの差異なので、プロトタイプ選びや改造のときは番号についても気を配った方がいいのではないかと思っています。



この形式写真に関連するタグ: E721系 , JR東日本

軌道検測車“マヤ35形”の牽引車に抜擢されるかも知れないキハ40形300番代

別の投稿を用意してましたが、少し気になる発表がJR北海道からありましたので、それに関する車両の形式写真をレタッチすることにしました。

 
JR北海道は、1978(昭和53)年製の高速軌道検測車マヤ34形(マヤ34 2008)を置き替えるために“マヤ35形”を投入することを発表しました。

こういう発表が出されたときに札幌運転所(札サウ)の マヤ34 2008 がアップできるとよかったのですが、残念ながら手持ちの写真ありません。
マヤ34 2008 は見たこともないです。
建築限界測定用試験車(オイラン車)の オヤ31 32 ならモノクロ時代に撮影してますけどね…

 
来月にはマヤ35形が落成する予定になっていますので、もうそろそろ北海道新幹線H5系と同系色のグリーンをまとった実車が見られることになります。

約1年後に マヤ34 2008 が置き替えらるのでそれまでに撮っておきたいところですが、いつ何処で走るか分からない車両なので、これを追いかけるのは無理でしょうね。

首都圏在住の身としては諦めるしかなさそうです。

 
JR北海道在来線用軌道検測車(マヤ35)

“マヤ35形”を組み込む3両編成(JR北海道発表資料より)

 

 
発表資料にはキハ40形が牽引する場合の編成図が描かれています。

 
この部分だけ抜粋してみましたが、ここに描かれているキハ40形は苗穂工場で構内入換用で使用されているキハ40形330番代(旧キハ400形)でないようです。

札沼線桑園〜石狩当別間の完全電車化で余剰となったもう1つのキハ40形である300番代(旧700番代)のサイドビューそのものです。

 
キハ40形330番代だったらトイレ寄りの客窓の一部が埋められていますが、イラストのキハ40形の窓配置はオリジナルのままです。

そして、屋根上中央部に一基だけ搭載された冷房装置(N-AU26)。

まさしく、キハ40形300番代です。

 
キハ40形300番代は4両すべてがまだ苗穂運転所(札ナホ)に車籍が残っていますので、そのうちの2両が牽引車として整備されることになるのでしょうか?

普段見ることのできないキハ40形300番代が注目されるチャンスですので、牽引車にも専用色が用意されると面白いことになるような気がしますが、JR北海道にはそのような余裕はなさそうですね。

 

キハ40形300番代はすでに キハ40 302 をアップしていますので、今回は キハ40 304(札ナホ)をアップしたいと思います。

 
キハ40 304

キハ40 304(札ナホ)  2014年5月13日 岩見沢駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

2013(平成25)年7月の車両火災事故の関係で特急「サロベツ」のキハ183系が使用停止となったため、代替列車の「特別快速」に札ナホのキハ40形700・1700番代が充当されました。このとき、キハ40形が不足したため札幌~旭川間のローカル運用にキハ40形300番代が入りました。

今回の写真はそのときに撮影したものです。



この形式写真に関連するタグ: JR北海道 , キハ40系

パンタを降ろして烏山線を走る蓄電池電車のEV-E301系(EV-E301-2)

4/3(月)に義母が脳梗塞で倒れてしまい、そのまま植物状態になってしまったため、それ以降は何度かつきみ野と栃木を往復しています。

一時は相当な覚悟が必要な状況で、3年前に実母で経験したイヤな気持ちを思い出してしまうほどでした。
生命が絶えるのをただ待つだけ、そんな辛い思いは義父や義妹弟にはしてもらいたくなかったので…

 
週末の4/8(土)になって呼びかけに反応するようになり、調子のいいときは自分の名前も言えるようになりました。その後も意識のはっきりしている時間が拡大しているようです。

回復が楽しみな状況にステージが完全に移ってきているので、安堵しているところです。

 
一方で、ローカル路線のJR車両を撮るときに妨げとなる雑草が春になって伸び始めているところもチラホラ。

そうなってくると、今年こそ押さえておこうと思っている撮影場所の状況が少し気になっているところです。

 
日曜日(4/9)は、雑草の影響が心配される栃木県内の無人駅にお見舞いのついで寄ってみました。

以前からクルマで栃木県に行く用事があったら寄ってみようと思ってましたが、昨年は娘の受験があった関係で実現できませんでした。キハ40形1000番代なら宝積寺駅で簡単に撮影できたということもありましたし…

でも、3月ダイヤ改正でキハ40形が引退し、烏山線の全列車が蓄電池電車(愛称:ACCUM)に置き替えられましたので、これを機に量産車が揃って撮影が楽になったEV-E301系を撮ってきたというわけです。

 
EV-E301-2

EV-E301-2(宮ヤマ)  2017年4月9日 下野花岡駅

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烏山線は約20kmほどの非電化区間で、キハ40形時代は最大3両編成で運転されていました。

2014(平成26)年3月改正にEV-E301系量産先行車の2編成1本(ヤマV1編成)が投入されて、宇都宮〜烏山線での運用が開始されました。計画時、まだ“スマート電池くん”と呼ばれていましたが、EV-E301系の投入に合わせて“ACCUM”という愛称が付けられました。

この時点で、終点の烏山駅に専用の充電設備(烏山変電所)が建設され、走行時に必要な電源が充電できる設備が用意されました。
電力会社から受電して降圧整流を行った直流1,500Vの電流を、剛体架線とEV-E301形のパンタグラフを通して主回路用蓄電池と補助電源装置の静止形インバータ (SIV) に給電します。

 
基本的な構成は2016(平成28)年に登場したJR九州のDENCHA(BEC819系)もほとんど同じですが、こちらは投入線区の関係で交流電源を利用したシステムになっています。

 
2017(平成29)年3月4日のダイヤ改正でキハ40形1000番代はすべてEV-E301系に置き替えられ、同線区は2両編成に統一されました。

 
国鉄末期の1986(昭和61)年、烏山線のキハ40形2000番代はトイレを撤去して、当時としては珍しかった線区限定の地域色に塗り替えられました。キハ40形の区分も1000番代に整理されました。

1968(昭和43)年に“赤字83線”に選定された廃止対象路線でしたが、キハ40形をローカル仕様に改装するという地方ローカル線の活性化モデルケースとして大役を果たすことになりました。
なお、当時はセミクロスシートの座席配置のままで、トイレ撤去部分にロングシートは設置されていませんでした。

 
JR各社の後年改造の数多くの例と比べてみるとキハ40形1000番代なんて改番不要な地域向け改造のように見えますが、当時の国鉄は全国転配を考慮した車両管理を行っていた時代ですから、他線区への転用ができなくなるような地域事情を踏まえた改造はそれほど行われていませんでした。

まして車齢10年程度のキハ40形ですから、このような改造を施すのは異例のことでした。

 
今回の烏山線へのEV-E301系の投入も将来のローカル線の在り方を先取りしているようなものなので、“歴史は繰り返される”ことになっているのでしょうね。



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