いつの間にか区分消滅していた元北越急行所属車のサハ681形2200番代

「JR電車編成表」を購入していたので2018(平成30)年10月1日現在のJR車両の動向をチェックしていたところ、いつの間にか消滅していた形式区分があるのに気が付きました。

以前、こちらで「区分消滅の可能性が高い『しらさぎ』のサハ681形200番代(サハ681-207)」と題してプチカフェテリア付きのサハ681形200番代のことを採り上げていましたが、このサハ681形200番代ではなくて北越急行所属車のサハ681形2200番代です。

2015(平成27)年3月の北陸新幹線金沢延伸開業までは在来線の特急「はくたか」(金沢〜越後湯沢間)で使用されていていた車両です。

 
北陸新幹線の長野〜金沢間開業で在来線の「はくたか」が廃止された際、「はくたか」に使用されていた681・683系はすべて特急「しらさぎ」に転用となりました。

このときに北越急行所有の681系2000番代と683系8000番代はJR西日本に譲渡されて、編成単位で方向転換が行われ、その前後に車体塗色も赤帯を巻いた“スノーラビットエクスプレス”色から“しらさぎ”色に変更されました。

 
「しらさぎ」への転用を見越して「はくたか」時代の末期にモハ681形を差し替える編成組替が行われましたが、このため車掌室のない6両基本編成が生まれてしまったので、これを解消するためにプチカフェテリア付きのサハ681形200・2200番代を車掌室付きの300・2300番代に改造する工事が行われています。

683系4000番代のリフレッシュ工事で金沢総合車両所が手一杯だったのか分かりませんが、サハ681形の車掌室設置工事は進捗がものすごく遅く、サハ681形200番代はまだ区分消滅にはなってません。

一方、元北越急行所属車のサハ681形2200番代はあっさりと2両とも2300番代に改造されてしまったのです。

 
というか、10月の北陸遠征のときに敦賀駅で現車を見るまで、そのことに気が付きませんでした。

 
2015(平成27)年3月にJR西日本に譲渡されたサハ681形2200番代は2018(平成30)年3月には廃区分になっていたのです。JR西日本の所有となってわずか2年で廃区分です。

“しらさぎ”色をまとったサハ681形2200番代は2年弱しか存在しなかったということです。

 
残念ながら短命だった“しらさぎ”色時代のサハ681形2200番代は撮影してませんので、北越急行時代のサハ681形2200番代、N01編成の サハ681-2201 をアップしたいと思います。

 
サハ681-2201

サハ681-2201(北越急行)  2014年11月16日 高岡駅

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姫新線の岡山支社管内で使用されているキハ120形300番代(キハ120-330)

10月に入ってから首都圏は曇りがちな天気が続いているので、金曜日(10/12)に埼玉県までプチ出撃してきました。

ここで撮影した形式写真を掲載しようと思いましたが、パーツ写真も含めたかたちに整理してからアップした方がよさそうな気がしたので、別の機会に回したいと思います。

 
ということで、撮影後に放置していたカットを見られるレベルまでレタッチして救ってみた形式写真をアップしてみたいと思います。

岡山気動車区(岡オカ)に配置されているキハ120形300番代、キハ120-330 です。
同区のキハ120形は、津山線、因美線(智頭〜津山間)、姫新線(佐用〜新見間)、伯備線(新見〜伯耆大山駅間)、芸備線(新見〜備後落合間)で使用されています。

 
キハ120-330

キハ120-330(岡オカ)  2014年6月7日 津山駅

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岡山地区では当たり前に見られる暖色系のカラー帯をまとったキハ120形です。

岡山駅にも乗り入れているので簡単に撮れるといいのですが、背の高いテイモクが立ってしまい気軽に撮れなくなりました。
なので、2014(平成26)年の四国遠征のときに曇りエリアを探して津山駅に立ち寄ったときの写真です。

 
津山駅に到着したときは形式写真日和だったのですが、駐車場待ちをしているあいだにゲリラ豪雨をもたらしそうな雨雲が近づいてしまい、空は真っ黒。

空が暗くても露出そのものはシャッタースピードを下げれば何とかなりますが、まわりが暗くなったのでキハ120形の室内灯が煌々と輝くバランスの悪い写真になってしまいました。

豪雨になる直前に撮れたのに、これではね〜 みたいな。

 
レタッチに時間を掛けて救うほどのカットではないと思って放置してましたが、体質改善工事が終了する2021年度までに岡山色のキハ120形を撮り直しできそうもないので、室内灯の輝きを抑えるレタッチを試みてみました。

どうでしょうか?

自然な感じでしょ?

「雷鳥」の晩年に活躍したパノラマ形グリーン車(クロ481-2001)

時間は嫌なことを忘れさせてくれると言いますが、まさにそのとおりで、事務所が床上浸水してから2週間が過ぎてだいぶ気持ちが楽になりました。

 
水没したものの処分がほとんど終わったこともありますし、先日(9/5)のブログ投稿を境に、今月下旬に発売される「列伝シリーズ03 踊り子列伝」の追い込みに戻らざるを得なかったので、それどころではなくなったいうのが正直なところ。

そして、今回は仕事場が床上浸水したのであって、生活の場所が奪われたわけではないですから、フィルムの救出さえ終われば最悪の場合は投げ出しても大丈夫な状況でしたらね…

 
でも、浸水被害に気付いた日(8/28)から9日間はとにかく大変で、浸水したものの運び出しで腰がいたくなるほどでした。

運び出しの作業中に証拠として何枚か撮影しましたが、水を吸ってダメになった本の山はこんな感じでした。

 
廃棄した本の山

廃棄した本の山(一部)

 

このカットの約2.5倍ほどが水濡れしました。

きちんとカウントしてませんが、廃棄した本はぜんぶ約500冊でした。

 
左側に2013(平成25)年に出した「形式485系」のカバーが見えますが、ちょうど「踊り子列伝」の執筆中だったので、机の足元に置いてあった国鉄特急形電車に関する資料が全滅しました。

国鉄時代からの電車編成表や、たまたまスキャン準備のために床置きしていた2009年以降の「Jトレイン」…

合本ファイル収納時の開き癖を取るために床置きしていた鉄道ピクトリアルの1990〜2002年は増刊号を含め全滅。1960年代の鉄道ジャーナルも…

 
ただ、トレインブックスの整理済みの在庫は本棚に収まっていたので、販売にはほとんど影響がなかったのが不幸中の幸い。

たまたま整理途中で浸水してしまった在庫がありますが、これについては確認ができしだい「カゴへ」ボタンを外しています。

 
やっぱり、一番悔やまれるのは、救出できなかったネガ・ポジフィルムの3本ですね…

 
水洗救出中のポジフィルム

水洗救出中のポジフィルム

 
乾燥中のネガ・ポジフィルム

乾燥中のネガ・ポジフィルム

 
どう頑張っても救出できなかったポジフィルム(120フィルムの645サイズ)

・2001(平成13)年の敦賀訪問(おもに485系、419系、クハ455-701)

・2000年代の佐倉訪問(千マリの113系AU712形搭載車、E217系未更新車)

・2000年代の平塚訪問(東チタの113系2000番代)

… 本当に悔やまれます。なんですぐに水洗しなかったのだろうか、と …

 
ネガ・ポジフィルム52本(15枚フィルム換算)は水没破棄は免れましたが、ベースフィルムがひどく波打ってスキャンできる状況ではないので、何らかの対策をしないといけないと思うと頭が痛いですね…

一時ほどではないですけども、しばらくは気が休まりそうもないです。

 
列伝シリーズ03 踊り子列伝」は赤入れが終われば脱稿なので、もう少しフィルムの完全救出について考えてみようと思います。

 
2001(平成13)年の敦賀訪問のときは、“青さぎ”と化した485系塗色変更車の撮影がメインでした。

パノラマ形グリーン車が“青さぎ”カラーに変わったときは驚きましたが、まさかその2年後にウソ電のような国鉄特急色になるとは夢にも思いませんでした。

 
今回は、そのウソ電のような国鉄特急色のパノラマ形グリーン車、クロ481-2001(京キト)をアップしたいと思います。
隔週刊「鉄道 ザ・ラストラン 第10号」に提供した写真です。

 
クロ481-2001

クロ481-2001(京キト)  2009年11月6日 敦賀駅

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先週のゲリラ豪雨で床上浸水してしまいました(写真は モハ380-1044)

私ごとですが、先週月曜日(8/27)の20:30過ぎのゲリラ豪雨でトレインブックスの書庫として使っている事務所が雨漏りで床上浸水してしまいました。

 
鉄筋コンクリートの事務所ビル(3階建て)の3階で、お隣も浸水していたようです。

 
一番酷いときの水位は2〜3cmだったようでしたが、床に置いてあった本が約500冊がダメになり廃棄、床に敷き詰めていたタイルカーペットはすべて水没し、この30年間撮りためていた形式写真のネガ・ポジフィルムの一部が天井からの水滴で被害を受けてしまいました。

浸水被害に気付いた日(8/28)から毎日昼夜を問わず復旧作業を行い、ようやく一昨日(9/3)からフィルムの片付けに取り掛かれるようになりました。

が、水に濡れたフィルム・ファイルのバインダーを開けると信じられない光景が…

 
水没被害を受けたポジフィルム

水没被害を受けたポジフィルムの一部

 

なんと、なんと…

一部のポジフィルムの乳剤(色素層)が溶け出していました。

 
慌てて残りのフィルムを2晩ほぼ徹夜して水洗いして、何とか救い出しましたが、ベースフィルムがふやけてしまってしまい平面が取れないほどになってしまいました。

 
フィルムの色素層が溶出してしまった120サイズのポジフィルムは3本ほど。

水洗が必要なほど水没してしまった120サイズのネガ・ポジフィルムは52本(15枚フィルム換算)。35mmサイズのモノクロネガフィルムは2本。

水没は免れたがファイルが濡れてしまって交換が必要なフィルムは200本ほど(120サイズの15枚フィルム換算)

 

ビルの屋上の配管が詰まっていたために行き場を失った雨水が天井を突き抜けたようで、天災と人災の合わせ技です。

床上浸水に気が付いた先週の火曜日(8/28)からは毎日毎日片付けの繰り返し…

 
かなり疲弊しきっていますが、ここで報告できるまでは回復しましたので、あと数ヶ月掛けて残りの片付けをしていこうと思っています。

 
 * * *

 

こういう写真をたまたま撮っていたからバチが当たったのでしょうか?

 
モハ380-1044

モハ380-1044(福フチ)  2014年8月16日 天橋立駅

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何てことのない、短期間だけ活躍した381系の特急「こうのとり22号」の中間電動車、モハ380-1044(福フチ)です。

 
実は、この モハ380-1044 を含むフチFE63・FE631編成はこの写真を撮影した約3時間後に、福知山線丹波竹田駅にて集中豪雨に見舞われ冠水してしまい、電気機器の水没のため復旧されずに廃車となってしまいました。

 
このような曰く付きの車両を撮影した影響が、巡り巡って降りかかってきたのでしょうか?

これからは気を付けて謙虚に過ごしていこうと思っています。

下関地区で増結車として活躍した105系の4ドア車(クモハ105-531)

やっとゴールデンウィークが終わりました。

 
今年は奥さんがGW初日から栃木市に行ったっきりで、その間シングルファーザー状態だったので、ぜんぜん落ち着きませんでした。

やっと昼食を用意しないで自分のことだけ考えればいいと思っていたら、昨日(5/7)は息子の通っている大学で爆破予告の書き込みがあったということで、全校休校。

なんだかなぁ〜、って感じ。

 
今日から平常運転。

少しずつ書庫を片付けつつ、執筆にも取り掛かりました。

 
ということで、撮りためた形式写真の中から今回も4ドア車をアップしたいと思います。

和歌山・奈良遠征で105系改造車をいくつかアップしていましたので、今回は広島地区に投入され、最後は下関総合車両所運用検修センター(広セキ)で105系3ドア車の増結用として活躍した濃黄色の クモハ105-531 をアップします。

 
クモハ105-531

クモハ105-531(広セキ)  2016年2月22日 下関駅

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クモハ105-531 は国鉄末期の1984(昭和59)年6月に元常磐緩行線・千代田線乗り入れ用の モハ102-1015 から改造されました。

可部線などに残っていた旧形国電を置き替えるために広島運転所(広ヒロ)に配置されたクモハ105形500番代の7両のうちの1両です。

広ヒロ車の一部が1987(昭和62)年2月に下関運転所(広セキ)に転属し、その後も クモハ105-531・532 の2両だけは広セキに留まりました。

 
この2両は105系体質改善車(3ドア車)の増結車として使用されていたので、ワンマン対応改造は施されませんでした。
連結相手が開閉ボタン付きの体質改善車でしたので、開きドアに取っ手が取り付けられました。

また、こちらのタイプは自動解結装置が装備されていないので、奈良・和歌山地区の105系とはスカートの形状が異なります。

 
可部線の105・113・115系が227系に置き替えられて、余剰となった105系体質改善車(3ドア車)が広セキに転入したため、クモハ105-531・532 の2両は2016(平成28)年5月ごろに運用から離脱しました。

翌6月に2両とも廃車となり、この時点で広セキの4ドア車は消滅しました。