関西本線名古屋口運用から離脱したK51編成の211系0番代(クモハ211-2)

遠征2日目(3/7)の話しです。

 
岡崎から青春18きっぷで巡った遠征初日(3/6)は、亀山、柘植、和歌山と地味な車両を順調に撮り進んで移動しましたが、その勢いは2日目まで保ちませんでした。

当日は朝から高松駅の9番ホームにJR四国の113系が入ってくるのを待ってましたが、前日までの疲れが取れなかったのと撮影場所のコンディションが悪くて戸惑ってしまったので、結局、うまく撮れませんでした。

 
撮影後いち早く写真をアップするくらいの気持ちで撮影に臨みましたが、それは気持ちだけで、身体の方は疲れで思うように動きませんでした。
50歳過ぎても大丈夫なようにジョギングや筋トレをするなど心掛けていましたが、岡崎までの無茶な徹夜運転が敗因だったようです…

 
その後は、多度津や琴平などに移動しましたが、雨がひどくて撮影どころではありませんでした。

今回のダイヤ改正で廃止される琴平発の瀬戸大橋線にお別れ乗車するなど、ドン行の乗り継ぎで岡崎に戻り、それ以降はクルマで帰宅しました。

 
撮影そのものの成果はありませんでしたが、ロケハンはきっちりできたので、次回の四国遠征に活かしていきたいと思っています。

 
 * * *

 
遠征2日目(3/7)に撮影した写真はお見せできるものではものではなかったので、今回は遠征初日(3/6)に途中の関西本線亀山駅で撮影したJR東海の クモハ211-2(海シン)をアップしたいと思います。

JR東海の保有車両のなかでたった8両だけ存在する国鉄形車両のうちの1両で、神領車両区(海シン)のK51編成の奇数方に連結されています。

 
クモハ211-2

クモハ211-2(海シン)  2019年3月6日 亀山駅

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JR東海の211系0番代は、国鉄時代の1986(昭和61)年に東海道本線名古屋地区の快速列車増発用として投入されたグループです。

登場時は“中京色”と呼ばれるブルー帯に白色の細線を入れた独自色のカラー帯を巻いていましたが、民営化直後の1989(平成元)年にオレンジ色と緑色の湘南色に変更されました。

 
中京色時代はこんな感じで117系とともに東海道本線(名古屋地区)のエースとして活躍していました。

 

クモハ211-2(名シン)  1988年8月6日 名古屋駅

 

313系の増備が進んだため2011(平成23)年に活躍の場が東海道本線から関西本線(名古屋口)に移り、現在は名古屋〜亀山間の通勤通学輸送を主体とした運用に就いています。

海シンの211系をブラインドがすべて上がった状態で撮りたいと思っていましたが、JR東海はブラインドの整備をなかなかるやってくれないので、どうしたらきれいに撮れるかと何年も前から考えていた形式でした。

 
遠征初日(3/6)の移動中、亀山駅で到着ホームが変更されたので駅構内を見渡してみたところ、2番ホームの名古屋方のはずれの方に クモハ211-2 を含むシンK51編成(4両編成)が留置されていたので、急いで撮影したのが今回アップした写真です。

パンタグラフが上がった状態なのに、室内灯は消えて、何故かブラインドもすべて上がった状態。

なんで止まっているのだろうか?そう思いながら撮ってましたが、あとで Twitter を確認したところ故障のため神領車両区に回送されてそれっきり留置とか…

 
置き替えの噂も聞こえてくるJR東海では少数派の211系0番代ですが、このまま廃車されずに修理整備のうえで本線に復帰して欲しいものです。

耐寒形に改造された非ワンマン対応車のキハ75形1300番代(キハ75-1304)

この12月も何回か遠征に出ていましたので、すぐにレタッチしてブログにアップできるように用意してました。

でも、そのあとに時間が取れず放置してしまいましたので、そのうちの1枚をアップしたいと思います。

 
高山本線などで活躍するキハ75形は番代区分が多く、すべての番代をきれいに撮るには時間が掛かりそうだったので、12月19日にロケハンを兼ねて美濃太田駅に行ってきました。

天気予報が微妙で晴れそうな予感がしましたが、10時くらいまで何とか曇ってくれたので、ワンマン未対応のまま寒地仕様に改造されたキハ75形1300番代を撮りました。

 
今回は、非ワンマンの3両編成に充当されたときに撮影した キハ75-1304(海ミオ)をアップします。

 
キハ75-1304

キハ75-1304(海ミオ)  2019年12月19日 美濃太田駅

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久しぶりに美濃太田駅に行きましたが、国鉄形気動車のキハ40系と軽快気動車のキハ11形がいなくなって寂しくなっていました。

駅構内に入ってくる列車は、すべてキハ25形かキハ75形だけ…

ぜんぶ銀色のステンレス製車体です。

 
でも、たった2形式に統一された美濃太田車両区(海ミオ)の気動車ですが、いずれの形式も増備時期が長かった関係で番代区分が複雑なのです。

かなり…

 
それなのに、偶数向きの車両は撮影チャンスがほとんどなりません。

 
絶対に撮れない、なんてことはないので、この時期からロケハンをして撮影済みの形式区分を少しずつ増やしているところです。

東海地区でオールマイティーに活躍する373系(クハ372-1)

2月初旬に「列伝シリーズ01 あずさ列伝」の赤入れが終わり、これでやっと形式写真が気兼ねなく撮れると思って“青春18きっぷ”を購入。といきたかったのですが、太平洋側を中心に曇ってくれません。

 
それまでの冬型の気圧配置が崩れて曇るようになると踏んでいましたが、この春は形式写真が量産できそうにない予感が…

でも、青春18きっぷの有効期間に5日ぐらいは曇るだろうと、無駄を覚悟のうえで購入することにしました。

 
何時間もドン行に揺られて〜 なんてできない性分なので、遠征先までクルマで行って現地では青春18きっぷ、というプランをいくつか考えていました。
が、今年の春は2日連続で曇るような予報がぜんぜん出ないので、日帰りで行ける地域に遠征することにしました。

つきみ野から日帰り圏内となるとJR東日本管内になりますが、50歳を過ぎると“大人の休日倶楽部パス”という年寄りの味方が使えるようになるので、今回はJR東海管内を目指すことにしました。

 
JR東海方面となると“魔の静岡”。

この区間と手前の神奈川県をドン行で通り抜ける自信がなかったので、東海道本線の片浜駅(静岡県沼津市)までクルマでショートカットすることにしました。

片浜なら青春18きっぷが無駄にならないですし、駅の真ん前のコインパーキングでも1日300円と安い。しかも、東名高速道路から降りても沼津市内の渋滞を気にしなくていいので、費用対効果を考えてそうすることにしました。

豊橋駅に留置される373系を撮るつもりでしたが、朝6時前に片浜駅に着けば、ゆっくり帰ってきても夕飯の仕度に支障を来しませんからね〜

 
ということで、何年も前から行きたいと思っていた午前中の豊橋駅に行って、車内整備がされてカーテンがきれいに整った状態の373系を撮ってきました。

 
クハ372-1

クハ372-1(静シス)  2018年3月19日 豊橋駅

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373系は、急行「富士川」(静岡・三島〜甲府間)とJR東海が受け持っていた急行「東海」(東京〜静岡間)を特急化するために投入されました。

165系で運行されていた“大垣夜行”を置き替えるかたちで1996(平成8)年3月から夜行快速列車「ムーンライトながら」にも使用されていましたが、「東海」の廃止(2007年3月)や「ムーンライトながら」の臨時列車化(2009年3月)で首都圏では存在感の薄い存在になってしまいました。

2012(平成24)年3月までは東京に乗り入れる普通列車に細々と充当されていましたけどね〜

 
現在、373系は特急「ふじかわ」「伊那路」と静岡地区の「ホームライナー」で使用されていますが、朝の通勤通学時間帯は普通列車にも充当されています。

373系が使われる列車をうまく狙えば“魔の静岡”も少し楽に抜けることができますので、“乗り得列車”を堪能してみては如何でしょうか?

“エル特急”という呼称がなくなる「ワイドビューしなの」(クモハ383-11)

JR北海道、JR東日本と続けてきたので、こんどはJR東海を、と用意しようと思ってましたが、今年はJR東海エリアに1回しか足を踏み入れませんでした。

このときに撮影した紀勢本線のキハ25形と特急「ワイドビュー南紀」のキハ85形はすでにアップしましたので、もうネタ切れか?と思ってましたらエリア外で撮影した形式写真がありました。

JR東日本の大糸線に入線している「ワイドビューしなの」の383系です。

 
JR東海の振子式電車 383系は名古屋駅で撮影できますが、ここで撮ると天井の低い車体が悪さして、構図の締まりが悪くなってしまいます。贅沢な悩みなんですけどね…

 
以前から大糸線の信濃大町駅で383系を撮りたいと思ってましたが、土休日や繁忙期にならないと大糸線に入線しないので、撮影を先送りしてました。

でも、9月の信濃大町遠征は引退直前だった“いろどり(彩)”の485系5000番代(ナノN201編成)を撮りに行ったときで、たまたま土曜日だったので、白馬行きの臨時「ワイドビューしなの81号」が運転されてました。

383系はステンレス製車体なので障害物が写り込む厄介な車両ですが、信濃大町駅はまわりに大きな構造物がないので、名古屋方の2両だけはきれいに撮れました。しかも、天井の低い車両でも迫力が出るように正面寄りの構図で撮影できました。

 
今回は、神領車両区(海シン)に配置されている「ワイドビューしなの」用4両編成(A102編成)の名古屋方の制御電動車(Mc)、クモハ383-11 をアップしたいと思います。

 
クモハ383-11

クモハ383-11(海シン)  2017年9月16日 信濃大町駅

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来年(2018年)3月ダイヤ改正で“エル特急”が消滅するそうです。

 
“エル特急”という呼称は国鉄時代の1972(昭和47)年10月に登場しました。

国鉄時代、1970年代まで特急列車はまさに“特別な急行列車”でした。
11両や12両などの長大編成で、すべての車両は指定席車。さらにグリーン車が2両、食堂車が連結されるのが当たり前でした。

しかし、1970年代に入ると国鉄の赤字は膨らみ、経営状況の悪化に対処するための施策が打たれるようになりました。
その一つが急行列車の特急列車への格上げでした。

急行列車を格上げして特急列車の本数を増やし、特急列車にも自由席車を連結し、それまでの急行列車のように乗りやすくした特急列車を“エル特急”と呼ぶようにしました。

 
1972(昭和47)年10月に“エル特急”となった特急列車は、
「ひばり」(上野〜仙台間・485/583系)
「ひたち」(上野〜仙台間〈常磐線経由〉・485系)
「わかしお」(東京〜安房鴨川間・183系)
「さざなみ」(東京〜館山間・183系)
「とき」(上野〜新潟間・181系)
「あさま」(上野〜長野間・181系)
「つばめ」(岡山〜熊本間・485/583系)
「はと」(岡山〜下関間・181/485系)
「しおじ」(新大阪〜下関間・181/485/583系)
の9つ。

その後、“エル特急”は国鉄の特急列車網の充実とともに増加し、ディーゼル特急にまで波及しました。

しかし、新幹線網の充実にともない在来線特急列車が減少する一方で比較的短距離な連絡特急列車が増加し、自由席車を連結するフリークエンシーなサービスが当たり前になったため、“エル特急”の呼称をやめる動きが徐々に広がりました。

 
それでも、JR東海は自社エリアを発着する「しらさぎ」「(ワイドビュー)しなの」「(ワイドビュー)ひだ」に“エル特急”の呼称を残していました。

 
来年(2018年)3月ダイヤ改正で“エル特急”という呼称がなくなったからといって何らサービスが変わる訳ではありませんが、こうやって少しずつ国鉄時代の遺産が消えていくのでしょうね。これからも…

準寒地向けトイレ付きの機関換装車 キハ48形6000番代(キハ48 6001)

7月に入ってからも遠征に出ているので遠征報告を忘れないうちに書きたいところですが、これを始めてしまうとJR東日本の車両がまた続くことになるので、前回に引き続き少し西日本方面の車両をアップしてみようと思います。

 
いきなり九州では西方に行き過ぎになるので、今回は2016(平成28)年3月に全廃となったJR東海のキハ40系の中から1区分1両の存在だったキハ48形6000番代、伊勢車両区(海イセ)の キハ48 6001 をアップしたいと思います。

 
キハ48 6001

キハ48 6001(海イセ)  2015年3月7日 一身田駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

キハ48形6000番代はトイレなしの1000番代からの改造車です。

キハ48形1000番代はコイルバネ台車(DT22D/TR51C)を履いた準寒地向け仕様で、1981年(昭和56年)から1982年(昭和57年)に製造されて 1001・1002 の2両が高山本線用として当時の美濃太田機関区(名ミオ)に配置されました。
キハ40形2000番代のような暖地向けグループでないので、キハ40形500・1500番代など寒地向けのグループと同様に出入台(デッキ)とのあいだに仕切りが設けられています。

1000番代はぜんぶで4両しか製造されませんでしたが、名ミオの2両はそのまま国鉄からJR東海に引き継がれました。

 
キハ40系共通の問題点として、約36tの自重に対して連続定格出力220PSはあまりにも非力だったため、JR東海ではキハ40系の駆動機関(エンジン)を換装する工事を進めました。キハ48 1001 は1997(平成9)年4月に名古屋工場で機関換装されて キハ48 6001 となり、カミンズ製のエンジン(C-DMF14HZB)が搭載されました。

キハ48 1002 も キハ48 6002 に改造されたため6000番代は2両となりましたが、2000(平成12)年2月に キハ48 6002 がワンマン対応に改造されて キハ48 6302 となったので、それ以降キハ48形6000番代は キハ48 6001 の1両のみとなってしまいました。

 
以前にも書きましたが、JR東海のキハ40系は少数派区分が多く、撮影者泣かせの存在でした。

国鉄からJR東海に引き継がれたキハ40系はそれほど多くないのに、片運転台のキハ48形だけを見ても、① トイレの有無、② 耐寒耐雪構造の有無、③ ワンマン運転対応の有無で改番されたので、これだけで8区分。

これとは別に、本格的な機関換装が始まる前に先行的に機関換装したトイレ付きのグループ(3500番代)も存在していました(第1期機関換装車)。しかも、3500番代はワンマン対応改造により全車が3800番代に改番されていったので、JR東海のキハ48形は10区分にまで膨らみました。

 

この改番劇を系譜図のかたちで整理すると次のようになります。

 
JR東海キハ48形の系譜図

JR東海キハ48形の系譜図 ※両数は2017年4月1日現在

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

如何でしょうか?

複雑でしょ…

 
キハ48形以外にキハ40形とキハ47形にも多数のバリエーション…

JR東海のキハ40系を本格的に撮りはじめたのが2013(平成25)年。ギリギリでしたね。

あのときは運用と天気予報ばかりチェックしていたような。