大井川鉄道に譲渡されて オハ47 512 に改番された旧国鉄 オハ46 512

すでに鮮度落ちの情報ですが、今年(2016年)3月に廃止となった急行「はまなす」で使用されていた14系客車4両を大井川鐵道が購入した、との発表が6/9(木)にありました。

すでにスハフ14 502 と スハフ14 557 の2両は大6/9(木)に大鉄入りしており、残りの2両(オハ 14 511・535)も発表後の6/11(土)に到着しました。

 
少し前まで経営難に喘いでいた大井川鐵道ですが、2014(平成26)年夏に「きかんしゃトーマス号」の運転を開始して以来、同社は攻めの姿勢に転じ、今ではすっかり息を吹き返しました。

子ども向けキャラクターだから成し得たこことはいえ、牽引機の蒸気機関車をキャラクター・デザインに改造するなどの思い切った施策が功を奏したかたちになります。

 
賛否両論はあるでしょうが、何処かで収益をきっちり上げていかないと旧形車両の動態保存はできないですから、「きかんしゃトーマス号」に対して批判的な気持ちはありません。

まだ子どもが小さくて、“きかんしゃトーマス”好きだったら、私も家族で大井川鐵道に乗りに行っていたと思うので。

 
西武鉄道にもいろんな塗色の9000系が登場していますが、これからは、いつ塗り替えられてしまうか分からないという緊張感を持つようにして鉄道車両を撮っていかないといけないようです。

今年(2016年)は“きかんしゃトーマス”の3年契約の最後ですから、見慣れない塗色になってしまった旧国鉄の旧形客車も撮っておいた方がいいように思います。

ということで、今回はオレンジ色になったトーマス客車の オハ47 512(旧国鉄 オハ46 512)をアップいたします。

 
オハ47 512(旧国鉄オハ46 512)

オハ47 512(旧国鉄オハ46 512)  2016年4月28日 大井川鐵道新金谷駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

“トーマス”専用客車として車体がオレンジ色に変更されたのは、オハ47 81・380・398・512、スハフ42 184・286・304 の7両です。

 
国鉄/JR の“オハ47形”はスハ43形の台車を TR47 から TR23(一部の車両はTR34)に交換したために誕生した形式です。

これは、改造名義の軽量客車(オハネ17形とオシ16形)を製造するときに、乗り心地のよいTR47台車を供出する必要があったために台車交換が行われたからです。

スハ43形は698両が新製されましたが、そのうち328両がオハ47形に改造されました。

 
一方で、698両も新製されたスハ43形のうち、途中から設計変更などにより自重が“ス”級から“オ”級に収まるまで軽量化が進んだ改良タイプが160両も製造されました。

これらの車両は落成後すぐの1956(昭和31)年に“オハ46形”に形式変更されました。

すでに、オハ46形はオリジナル設計で オハ46 1〜60 が落成していましたが、スハ43時代の番号そのままでオハ46形に編入されたので、編入車は オハ46 374〜398・494〜553・599〜628・654〜698(飛び番号)となりました。

 
今回アップした大井川鐵道の オハ47 512 は1990(平成2)年まで旧国鉄時代の オハ46 512 を名乗っていた車両ですので、元々は1954(昭和29)年製の スハ43 512 ということになります。

 
終戦後に新製された切妻形の同タイプの一般形客車は“スハ43系”と呼ばれますが、“スハ43形”として最後まで活躍した車両は多くありませんでした。

鉄道模型では代表形式として必ず製品化されますけどね…

 
これは、自重の関係で“オ”級のオハ46形とオハ47形が重宝がられたことが影響していたためで、旧形客車がほとんど淘汰された1985(昭和60)年3月時点ではほとんど見掛けられませんでした。

そのため、動態保存されているのもオハ47形ばかりとなりました。

 

本格的に形式写真を撮りはじめた1985(昭和60)年3月中旬、すでに稼働状態にあったスハ43形は東北と山陰、そして九州に少しだけ。

スハ43形は撮れないものと諦めていましたが、トップナンバーで盛岡客貨車区(盛モカ)の スハ43 2001 が常磐線平駅に入線したときにはビックリしました(2001を名乗っているのは電気暖房搭載車のため)。

しかも、鉄道ダイヤ情報誌に書かれていたぶどう色の塗色でなく、青15号でしたからね…

 
そのとき撮影した スハ43 2001 もアップしておきます。

 
スハ43 2001

スハ43 2001(盛モカ)  1985年3月13日 平駅



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何故かTR47台車を履いている大井川鐵道の オハ35 459

遠征1日目(4/27)は雨のため散々な結果でしたが、2日目(4/28)も関西地方は雨予報。

それじゃダメだと思って午後には帰途に就きましたが、途中のサービスエリアで天気予報をチェックしてみたところ、静岡県内ならお昼ぐらいに雨が上がるとの予報が。

 
ならば、遠征2日目(4/28)は、

朝から大井川鐵道の新金谷に行って旧形客車を撮り、

お昼過ぎに川根温泉で今回の強行遠征の疲れを取る、

こんなプランなら遠征を無駄にしないで済むのでは、と考えました。

 
Twitter のタイムラインに、大井川鐵道の オハ35 459 がTR47台車を履いるとの情報が上がってからは、ず〜っと行きたいと思ってましたからね…

これが撮れれば文句なし。

 
しかし、2日目(4/28)は朝から雨。

あきらめずに新金谷入りし、待つこと約5時間。

お昼ごろになって、ようやく オハ35 459 の形式写真が撮れました。

 
はやり、被写体が旧形客車だと気合いの入り方が違います。

障害物を除けるために、レンズを変えたり、三脚の高さを調整して頑張って撮りました。

 
オハ35 459

オハ35 459  2016年4月28日 大井川鐵道新金谷車両区

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

国鉄時代であれば、台車振替によって“ス”級に形式変更とされてもおかしくないのでは、と思っています。

オハフ33形1000番代の例があるので、台車違いを整理して“スハ42形”の1000番代あたりに改番されていたのかな、と。

 
オハ35 459 の妻面の重量標記を見ると、自重は 30.6 t 。

恐らく、台車振替がされていないときの標記のままだと思われます。

 
オハ35 459 の重量標記

オハ35 459 の重量標記

 
国鉄時代の諸元表によれば、オハ35形の自重は 31.6〜34.5 t 。

TR47 台車は TR23 系よりも約1 t 重いので、台車振替で自重が変わったとしても約 31.6 t 。

これならオハ35形の自重の範囲内なので、国鉄/JR方式で形式を見直したとしても変更する必要はなさそうです。

 
でも、台車振替車両を営業運用に入れるためには事務手続きが必要でしょうから、頻繁にこのような台車振替はしないでしょう。

 
では、何のために台車振替が行われたのでしょうか?

不思議です…

 
TR23 台車を履いたスハフ42形や旧オハ46形が運用に就いていればいいのですが、そのような話しは聞きません。

しばらくは謎のままなのでしょうね。



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母を看取る心の準備のために(高校時代に撮影した モハ482-12)

今回は今まで以上に個人的なことを書きますので、国鉄車両の形式写真を期待している方は一番下までスクロールしてください。

 
 * * *

 
長年、パーキンソン病を患っていた母が誤嚥(ごえん)により心肺停止に至りました。その後の対応で蘇生いたしましたが、現在意識はなく、回復の見込みも望めない状況です。

突然のことでしたし、その後の対応などで右往左往していましたが、私の気持ちが少しだけ落ち着いてきましたので、そのときのことを記録のために少し整理してみます。

 

水曜日(12/4)のことでした。

小学3年生の娘が通う学校で個別面談があるので近所の小学校に行く準備中、両親がお世話になっている老人ホームから電話が掛かってきて、母が倒れ、救急車を呼ぶことになったので、すぐに来て欲しいと連絡がありました。

これまでに何度か書きましたが、両親はともにパーキンソン病で、60歳代のときから自活ができなくなり老人ホームにお世話になっています。

そんな両親を持つ長男なので、老人ホームからの電話は慣れっこで、多いときは1ヶ月に数回も連絡があります。

ホーム内で風邪が流行っていますとか、ベッドで転んでしまったので病院に連れていっていいか、持病の●●が悪化したので入院することになりましたので病院に来てくださいとか…

1ヶ月に1回はパーキンソン病の通院に付き添っているのに、です。

 
木曜日の電話は詳しい内容の連絡がなかったので、いつもと同レベルの内容だと思っていました。

そのときは、電話の内容が支離滅裂で理解不能だったので、病院が決まったら病院に直行することにして電話を切りました。

心臓が止まっていたなんてことは言われなかったし、ただただ“危ない状況”の一点張りで、ぜんぜん状況が把握できませんでした。

 
その後、再度ホームから連絡があったので、病院に向かって付き添っていた看護師に状況を教えてもらおうとしましたがダメでした。自分の日本語理解能力を疑いたくなるほど。

何が起きたのかを知りたいのに、説明下手で理解できないジレンマ、そんな状況に業を煮やした救急隊員が時系列で説明してくれました。

 
その時点で分かったのは、
・老人ホームのおやつの時間に、母がお菓子を気管に詰まらせ心肺停止している状態になっているところを発見された
・たまたま往診の医師がいたので、心臓マッサージを受けた
・救急車で搬送され、心臓が動き出した

 
その後、救命救急医からも説明を受け、
・救急治療中にも心肺停止したが、蘇生した
・気管に詰まらせて心肺停止していた時間は25分程度
・母の意識はまったくなく、意識が戻る確率は5%程度

予想を超えた深刻な事態であることが分かりました。

やっとです。

 
いつものように私一人が入院の事務的手続きや医師との対応をすればいいというレベルではなかったので、アメリカに住む弟に電話して母が危篤であることを伝え、よく連絡を取り合っている叔父(母の弟)に連絡し、来てもらいました。

 
母はまだ77歳ですが、40代後半でパーキンソン病が発症。
父が10数年前(60代)にパーキンソン病が発症。

8年前に父の転倒・入院を機に母も自活できなくなり、2人揃って老人ホームに入所し、それ以降ゆっくりとパーキンソン病が悪化し、現在は要介護度5。

 
いつか今回のような誤嚥(ごえん)による窒息や肺炎で最悪の事態が起こると思っていましたので、覚悟はできていましたが、突然のことでした。

 

急遽、弟がアメリカから帰国したので、それ以降は一人で抱え込まなくて済んでいますが、これからは終末期医療をどうするべきか?母の最期をどう看取っていくか?そのためには、どのような決断をしていくのか?どれも思い課題ばかりです。

 
あまりに重い内容なので具体的には書けませんが、これからしばらくのあいだは母が安らかに逝けるように看取っていくことを最優先に家族みんなで過ごしていこうと思っています。

辛いですが…

 

今年4月からパーキンソン病の薬を少しずつ変えていて、症状の改善が見られるようになっていただけに本当に残念です。

 
 * * *

 

40代半ばになった私ですが、まだ形式写真を撮り始めた時期というのがありました。

今回は高校3年生のときに撮影した写真をアップします。
特急「ひたち」が1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で大増発されましたが、その前日に常磐線平駅(現いわき駅)で撮影した写真で、まだ仙台運転所(仙セン)に所属していたときのモハ482形(モハ482-15)です。

 

モハ482-15

モハ482-15(仙セン)  1985年3月13日 平駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

このとき、483系の中間電動車はすべて廃車されていたと思っていたのに、「ひたち」編成に15番ユニットが挟まれているのを見付け、ビックリしたのを思い出します。

 
国鉄標準形特急車両 形式485系(イカロス・ムック)」の33ページには4位側から撮影した モハ482-15 の写真を掲載しましたので、今回は掲載されなかった2位側からの写真をアップしました。

手持ちで撮っていると思いますが、しっかり視線を下げて撮っているので、最近の写真と同じような構図にまとまってます。



この形式写真に関連するタグ: 485系 , 国鉄

Nikon D800E でじっくり撮影した スハフ44 25

先週末の出撃報告でアップした スハフ44 25 や、デジタル一眼レフ Nikon D800E の作例を探している方々がこちらのブログに訪れていますので、今回は双方のニーズを満たすような写真をアップしようと思います。

 
真岡鐵道真岡駅に留置されている旧国鉄 スハフ44 25 をじっくり時間を掛けて Nikon D800E で撮影しましたので、そのときの写真です。

まずはいつものサイズの形式写真です。

 
スハフ44 25

スハフ44 25(函ハコ と標記)  2012年7月22日 真岡鐵道真岡駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 

つぎに“等倍画像”をアップいたしますが、JPEG切り出し画像は恥ずかしいので勘弁してください。

今回の“等倍画像”データは、Photoshop CS6 のプラグイン Camera RAW 7.1 でRAW現像処理を行い、そのあとにレンズ補正および垂直補正(画像回転)を行っています。

そのため、オリジナルより若干サイズが小さくなっていますが、7,265 × 4,783 px の3,474万画素です。
今回はスマートシャープネス処理は施しておりませんので、少しぼけた画像に見えます。

※ シャッタースピード:1/10秒、絞り値:f/10、露光補正量:+0.3EV、ISO感度:100

 

 (下画像をクリックすると等倍画像が表示されます)

スハフ44 25

スハフ44 25(14.89MB)

 
一応、撮影時の機材を列挙します。

カメラ: Nikon D800E
レンズ: COSINA(コシナ) Carl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZF.2
三脚:  SLIK グランドプロ CF-4
雲台:  Manfrotto(マンフロット) 410

最近は Manfrotto 405 というギア付き雲台を使用していますが、この雲台の使用感などについては後日書いてみようと思っています。

 

 

Nikon D800E 入手後に試し撮りしたときの“等倍画像”データはこちらにあります。

モハE233-3608(東チタ)
キハE130-7(水スイ)



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甲府および小山・真岡の出撃報告(クモハ215-3・スハフ44 25)

昨日(7/21)、今日(7/22)と2日連続でチョット気になる車両の形式写真を撮りに出掛けてきました。

 
昨日行ってきたのは山梨県の甲府駅で、未撮影の2階建て車両215系、そして485系ジョイフルトレインの「ニューなのはな」、臨時特急「はまかいじ」の一部の車両などがターゲットでした。

6時間も駅ホームをウロウロしてましたが、いつものように天気予報がハズれて雨となったため、曇ったときだけ撮影。非常に効率の悪い1日でした。

 
「スーパーあずさ」のE351系、「あずさ」「かいじ」のE257系も撮りましたが、夏休み最初の土曜日だったため乗客が多く、乗客の乗り降りするたびに車体が揺れていたので、うまく撮れませんでした。

このほかに臨時快速「ムーンライト信州」への送り込み回送列車のクハ189形(長ナノ)も狙っていましたが、長野県内の大雨でダイヤ乱れがひどかったため、撮影しようとしていたときに手前に列車が来てしまいNGでした。

 
クモハ215-3

クモハ215-3(東チタ)  2012年7月21日 甲府駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 
そして今日の出撃先は栃木県の小山駅。

485系ジョイフルトレインの「宴」が朝6時ごろに長時間停車するスジが鉄道ダイヤ情報に載っていたので、東北本線小山駅の13番線に入るのに合わせてワゴンRで行ってきました。

小山駅は、かつて仕事の関係で住んでいた栃木市の隣なので馴染みの駅でしたが、知らぬ間に自由通路が完成していて、以前よりも形式写真が撮影できる車両が減ってしまい少々残念でした。

それでも「宴」の中間車4両がすべて撮影できたので、久しぶりに満足の出撃!

 
小山駅での撮影は朝7時過ぎに終わったので、スハフ44形を撮りに真岡鐵道の真岡駅へ移動しましたが、こんどは雨。
でも、クルマのなかで3時間ほど待っていたら小降りになったので、下の写真のようにきれいな形式写真が撮れました。

 
スハフ44 25

スハフ44 25(函ハコ と標記)  2012年7月22日 真岡鐵道真岡駅

上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。

 
20年前、スハフ44 25 が留置されている場所には、JRマークが剥がされた キハ20 247 が保管されていました。

 
キハ20 247

キハ20 247  1992年 5月29日 真岡鐵道真岡駅



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